キラキラの片隅から

平社員のたわ言

TOKIOって本当にいいグループなんだなって

特別ファンってわけじゃない。

でも、いつか機会があればライブに行ってみたいなぁって思ってた。そういう人はいきっと日本中にたくさんいると思う。

 

仕事中、Yahoo!ニュースのトップ画面から飛び込んで来た信じられない見出し。

 

今まで知り合いのお兄ちゃんみたいな身近な感覚でテレビを見ていたし、その結びつかない状況に呆然とした。

 

そして記者会見で語った言葉たち。

何よりも印象的だったのがグループについて話した時だった。

 

グループの話になった途端に涙を流した山口くん。

ジュニアの頃から30年近く一緒に夢を叶えてきた仲間たちのことを考えたら当然だと思う。ここまで濃厚に若い時から一緒に夢を叶えていける存在って、普通に生きていればそうそういない。

 

被害者はもちろん、その4人の人生にも傷をつけてしまった。それは泣きたくもなる。痛いほど、グループに対する情がわかった。

アイドルグループや、バンド、お笑い芸人って、極論を言えばメンバーの人生は自分の人生だし、自分の人生はメンバーの人生だから。

 

 

でも、

TOKIOに戻りたい」

の発言には違和感しかなかった。

 

どんな形であれ、0からやり直すくらいの、それくらいの言葉を期待していたのに。

愚かな行動で被害者の子はもちろん、自分の、そしてメンバーの人生を狂わせておいて、戻る場所を願うなんて。

 

その行動をするときに、グループの仲間の顔が浮かばなかったのか。最低な裏切りになること、何で想像できなかったのか。想像力が足りなかったのではないか。

 

と同時に、そうやって男気のある筋の通った強い山口くん像を勝手に持っていたんだなとも気付いた。あぁ、本当はどこにでもいる弱い人間だったんだな。

 

でも当然「甘い」って言われるに決まっている。それは本人の口からもそういう前置きをしていたからわかってはいたんだと思う。(ズルイと思ったけど)

 

わかってはいたけど、心のどこかで4人なら受け入れてくれるって、思っていたんだろう。「待ってる」って言ってくれると思ったのだろう。だって30年近く一緒に夢を叶えてきた仲間たちだから。

 

でもその発言には、被害者の子のことは1%も含まれていなかった。今、それを願うべきではなかった。

 

城島リーダーが言っていたのは、そういうことなんだと思う。

国分くんもそうだし、ニュース記事とかでは単純に分裂とか、怒り心頭そういうイメージで報じられているけど、そういうことだけではない気がする。

 

山口くんが「叱ってくれる唯一の存在」って言っていたけど、本当にその通りなんだと。

 

今は、自分たちのことなんかよりも被害者の子のことを考えるべきだと、頭を冷やせと、心から諭しているように感じた。

 

今さら46歳に言うことではないのかもしれない。こんなに気の弱い山口達也なんて信じたくないかもしれない。でも、“あえて”厳しいことを言ったんだと。

 

4人だってどんな形であれ、山口達也が戻ってきてほしいって思っているに決まっている。「復帰はありえない」と言ったって30年近く一緒に夢を叶えてきた仲間だから。

 

4人は信じているのだと思った。

 

「戻る場所はない」なんて、世間よりも会社よりも厳しくて酷なことをグループの仲間に言われて、それをどう受け止めるのか。

山口達也なら響くだろう、ちゃんと改めるだろう。そう信じているんだと、信じたいんだと。

 

そうじゃなかったら、あんなに厳しいことは言えないと思う。

これを聞いて堕落するような山口達也ではないだろう??

そう、会社がやらなかった筋の通ったやり方で仲間として突き放した。

 

もう修復不可能のように映るけど、テレビ画面越しに見てきたTOKIOってこうだったよなって。これでこそTOKIOなんだろうなって。

 

はっきり言って一視聴者としては、「戻りたい」と言った山口くんのこと失望したし、もうきっとテレビで見ても「エロおやじ」って思うだろう。

 

世間的にもそう映っているのなら、本当に芸能界に戻る場所があるかどうかはわからない。けど、少なくともTOKIOの4人はひとりの人間として真っ当に生きられるように悔い改めて、罪の意識を持ってやり直してほしいと、ひとりの人間のこれからを願っているように思えた。そうじゃなかったら「復帰はありえない」なんて、言えない。

 

TOKIOって本当にいいグループなんだなって。

テレビで見てきたTOKIOのこと、信じていいんだって。アイドルが過ごしてきた30年は一生懸命で人間臭くて一歩一歩ふみしめてきた30年なんだと。

 

山口くんは、復帰できるとかできないとか考えずに、どうか、どうか、ひとりの人間として立ち直ってほしい。もう4人の“優しさ”を踏みにじることがないように。

新入社員を学歴で判断して何が悪い

私は所謂学歴コンプレックスだ。

中学教科書通りの勉強まではできたので、学区1位の公立高校に進学したが、大学は三流大学卒業している。

進学した高校は、校則はゆるく、ほぼ無いと言って等しい。だが、当然それは悪いことをする生徒がいないからであり、先生地域も信頼してくれていた。いじめもない。

そこで目の当たりにしたのは頭のいい人は何でもできると言うこと。自分のことだけでなく、相手のことも考えられる余裕があるということだった。

もちろん一芸に秀でているタイプも中にはいたが、頭がいい人たちの集まりは、効率よく物事を進める術も、計画的に進める術も、平和に過ごす術も兼ね備えていた。

進学校にしては文化祭体育祭球技大会、そして部活動が盛んな方だったと思うが、皆どれも手を抜かず、満足できるラインまで仕上げる。

先生方もサポートしてくれる程度で、生徒たちは皆、自分たちで考えて楽しく運営していた。

このような充実した学生生活を過ごし、殆ど偏差値60以上の大学に進学する。勉強だってできるのだ。

私は入学してすぐに「敵わない」と悟った。もともと打たれ弱くプライドが高い私は「頑張って出来ない子」になるくらいなら「頑張らないで出来ない子」になることにした。本当にバカだった。

もちろん、大好きな友人たちに迷惑をかけないように行事部活動などは頑張ったのでそれなりに楽しく青春は過ごせたが、やはり大学受験では惨敗だった。浪人する気もなかった私は3次入試でやっと滑り止め以下の大学に受かった。

大学生活ははっきり言ってチョロかった。

1次試験殆どが推薦とAO入試の母校は、一応受験勉強をしていた私にとってそこそこ勉強すれば学内テストで上位に入るレベル。ショックだった。今まで下から数えた方が早かった底辺の私が、大したことしていないのに褒めてもらえる環境に落ちぶれたのだ。わかっていたことではあったが、わかっていなかった。

人間関係に至っては、はっきり言って講義をサボったとか、バイトをサボったとか、店長と合わないからこっちから辞めてやったとか、友人から裏切られただとか、そんな話ばかり聞き、信頼しきれずその場限りの友人ばかり。だから卒業してからも仲良くしているのはごく数人だ。なぜ皆がもっと周りのことを考えて行動できないのか不思議で仕方なかった。

それなのに、就活が始まると周りからこんな声が聞こえた。

学歴とか関係なくね?」「必要なのはポテンシャルでしょ」と。

そんなバカな話があるか。

企業がどっちの人間を取りたいか、そんなものは考えなくてもわかるに決まっている。

高校時代大人になって、もしも今の学年でチームを組んで働いたら、きっと成績も良くて平和に働けるいい会社になるんだろうな。私は他の皆よりお給料少なくてもいいからその中に混ぜて欲しいな。そんな淡い妄想をしていた。

いざ就職活動が始まると、それすらも甘いと感じるほどだった。

でも、大学受験を頑張らなかった私は、受け入れるしかないし、当然だと思った。

もちろん、有名大学に進学した友人たちも、人間関係勉強高校の時のようにいかないことで悩んでいる話は多少は聞いていた。だが、それはごく一部であって、私の尊敬して信頼する友人たちは皆、努力していい大学に進んだのだ。そして就職氷河期でありながら努力して満足のいく就職活動ができていたのだ。

それなのに、私含め大して努力もしてこなかった人が、「学歴フィルター」だとか「ポテンシャル」だとか言っているのは、アホらしいとしか言えない。同じ土俵に上がろうと思うなんて厚かましいにも程がある。

高校時代勉強行事部活もなんでもできて、相手のことも考えられて、平和でいられる友人たちの努力評価されないのなら、そんな社会なんてクソ食らえだ。

から企業学歴を一つの基準にするのは自然なことだと思う。そして、そのような正当な評価ができる社会であって欲しいと切に願う。

「定時で帰る」何が悪い? ゆとり世代が考える理想の働き方

ゆとりが考える理想の働き方

  • 定時で帰るのが基本
  • 残業代は無駄な経費
  • 多ければ役職者の評価に直結
  • 打刻はオフィスの入退室で管理
  • 休みは休み、昼休みも有給も働けば賃金発生

 

…難しいことは何ひとつありません。ごくごく普通のこと。

そもそも勤務時間内で仕事が済ませられるようにマネジメントしたらどうでしょう?と言う提案です。それで人が足りないなら増やすべきですし、事業が成り立たないのならそれは潰れるべき会社です。

 

そして、月々に支払われる給料と成果はイコールになるべきだと思うので(むしろなぜそこが釣り合わないのに疑問がないのか謎)、そこに残業という概念が入ってくると話が変わってくると言うか、異常事態だと認識しようよ、と思うのです。

 

 

つまり、実にシンプルだと思うのですが、定時内でできる仕事が他の人より少なければその人の給料は少なくあるべきだし、定時内でできる仕事が他の人より多ければその人の給料は多くあるべき、では?

 

こう評価するのであれば、残業や休日出勤、持ち帰り前提でやる仕事なんてもってのほかです。この理想が実現したとき、何か文句ありますか?

 

むしろ、このやり方では嫌と言うのであれば「私は他人より仕事ができないから給料が下がるのは困る」と言っているようなものかと…?

 

この理想が実現すれば、「残業しているあの人と私は同じ仕事量なのに、残業しているAさんは私よりも給料が多い…」「私の方がこなす仕事は多いのに、同じだけ残業しているBさんと給料が同じなんて…」というストレスは軽減されるはずです。

 

逆に「あの人は使えないからって簡単な仕事ばっかりしてて、私はその人がやるべき厄介な仕事ばっかり降ってきて残業しないと終わらない…」なんて理不尽だって無くなります、よね??だって、みんなが定時内の仕事で評価されるわけですから。

 

仮に即戦力のつもりが思ったよりこなせない社員がいたのなら、それは採用のときの見極めが甘かったわけですし、将来を見込んで採用したのなら入社してすぐには出来なかったり時間がかかったりすることも、徐々に定時内にできる仕事が増えていくわけで、それに伴って成果と給料も上がっていく、それだけです。

 

 

ゆとり世代は実に素晴らしい教育を受けてきました。相対評価ではなく絶対評価で育った私たちは「みんな違ってみんないい」と言う絶対的に平和なマインドを持っています。そして、「わたしが頑張ってできるのはここまでだから、それ相応の評価を受け止める」のがゆとりです。「他の人の方が忙しいから、わたしも頑張ろう」なんて非合理的なことは受け付けられません。

 

仕事が終わってなくても帰る、と言うゆとりエピソードはよく聞きますが、まだそれができる人の方が救いようがあります。自己解決できているので潰れることはありません。

ですが、勘がよくて「薄情って思われるかも」と考えられるゆとりはとりあえず非合理的な方法を取ります。そしてストレスフル。会社に来れなくなりますよそりゃ。

正しいと思ってきたことが、社会に出たら間違ってるって言われるわけですから。

 

 

こんなこと言っていたら「何甘ったれたことを!」ってなるのでしょうか。

でも、このゆとりの思考、そんなにダメですか??

根底は、みんな違ってみんないい、です。各々が自分の出来る範囲で、できることをやって、それ相応の対価を得る、それだけのことです。シンプル。

そして定時で帰って家族と過ごしたり、好きなことでリフレッシュしたりして、明日の仕事をもっと頑張ればいい。共働きだって2人とも定時で帰れれば家事も子育ても協力してできる。そう言う体制が当たり前になれば結婚だって子育てだってハードルが下がります。それはなんとも優しい世界。

 

そして、ゆとりは薄情と思われがちですが、そんなことありません。ゆとり世代、実に素直に育ちました。帰っていいよと言われればありがたく帰るし、難しかったら言ってね、と言われればその優しさに応えて難しいと言います。だから、残業したら上司が困る、と思えば生産性を上げようと努力します。今までダラダラダラダラ残業してきた人たちよりも成果を出せるはずです。

 

今まで「これだからゆとりは…」と思いながら続けてきた無駄だらけで消耗が美徳の働き方と、ゆとりが考える理想的なゆとりのある働き方、どちらに合わせるのが幸せに働けますか?

 

 

最近、採用売り手市場でこんな話をよく聞きます。
「なんでこんなにうちの会社は人が集まらないのか」

 

あの…そもそも会社としてごくごく普通に整えるべきこと、整っていますか?

そこが納得できないのに、他のことで納得しろって言われても、正直そんなにバカではありません。

 

そもそも不思議なんですけど、日常的に守られていない労働基準法、上層部の方たちは何にも不思議に思わないのでしょうか?怖くないですか?

 

「違うと思ったら違うと言いなさい」と育ったゆとりとしては不思議で仕方ありません。なんでそんなに堂々と法律を無視しているのか、なんで明らかにおかしいことを「それでいい」とできるのか。良心が痛むゆとり…そんな問題意識と良心を持てる教育を受けてきたわけですから、ゆとり教育大成功だと思います!!

“新しい地図”に新しさを感じない

あれだけの退所劇をしたのだから、注目されない訳がないだろう。今、メディアはジャニーズ時代では安売りしなかった情報が、自由度も高くなりWebでも使える情報になって喜んでいる。

 

しかしそこに“新しさ”を感じないのが正直なところ。

ジャニーズ時代では考えられない、というのが前提であるからだ。

 

ジャニーズがあえてやらないことは当然のように他がやっている。新しい地図が打ち出すことは、巷のアイドルやアーティストのファンにとってはすでに普通のことだ。スケールの大きなことも含めると、大体のことはLDHがすでにやっている。

 

 

新しい地図はそこに手を出した。

ジャニーズではできなかったことだから、新しい地図

 

 

逃げたかった割に、新しい地図の発足時からジャニーズのブランドにおんぶに抱っこである。むしろ、悪役のままでいてあげているジャニーズの器の広さに感銘を受けている。

 

普通のことに付加されている価値は「ジャニーズだったらできないことを、元ジャニーズがやっている」ということ。そして、取り巻く人の豪華さについてもそのひとつだろう。

 

そのほとんどがSMAP時代に培ってきたことである。それを大いに利用しているに過ぎない。

 

そして、チームはそこに目をつけた精鋭が集まっている様子が見て取れる。すでに確立されている手法の、その手に強い人が、その付加価値に集まっているのだろう。

 

 

このジャニーズで活躍してきたことの呪縛は強い。今は心から本音を言えているようには見えず、なんだかんだ古巣に気を遣っているようにすら見える。結局は操り人形ではないか。3人はこれでよかったのだろうか。勝手にそんな心配までしてしまう。

 

 

現時点で脱却する気があるのか、ゆくゆくはそのつもりなのか、見て取れない。そもそもこの現在の話題性も見込んでのあの退所劇だったはずだ。

 

そして、メディアの取り上げ方も、なんだかんだ双方に細心の注意をはらっているだろうし、他よりは面倒な状況であるはずだ。今の状況は面倒よりも話題性が優っているからこそ成り立っている。

 

 

今、新しい地図が打ち出している“新しいこと”が、新しくないことに変わるとき、それは彼らがジャニーズのブランドから脱却したときなのでは?

 

 

そのときにメディアが純粋に飛びつきたくなる“新しい地図”を示してくれるのかどうか…楽しみにしている自分もいる。