キラキラの片隅から

平社員のたわ言

新入社員を学歴で判断して何が悪い

私は所謂学歴コンプレックスだ。

中学教科書通りの勉強まではできたので、学区1位の公立高校に進学したが、大学は三流大学卒業している。

進学した高校は、校則はゆるく、ほぼ無いと言って等しい。だが、当然それは悪いことをする生徒がいないからであり、先生地域も信頼してくれていた。いじめもない。

そこで目の当たりにしたのは頭のいい人は何でもできると言うこと。自分のことだけでなく、相手のことも考えられる余裕があるということだった。

もちろん一芸に秀でているタイプも中にはいたが、頭がいい人たちの集まりは、効率よく物事を進める術も、計画的に進める術も、平和に過ごす術も兼ね備えていた。

進学校にしては文化祭体育祭球技大会、そして部活動が盛んな方だったと思うが、皆どれも手を抜かず、満足できるラインまで仕上げる。

先生方もサポートしてくれる程度で、生徒たちは皆、自分たちで考えて楽しく運営していた。

このような充実した学生生活を過ごし、殆ど偏差値60以上の大学に進学する。勉強だってできるのだ。

私は入学してすぐに「敵わない」と悟った。もともと打たれ弱くプライドが高い私は「頑張って出来ない子」になるくらいなら「頑張らないで出来ない子」になることにした。本当にバカだった。

もちろん、大好きな友人たちに迷惑をかけないように行事部活動などは頑張ったのでそれなりに楽しく青春は過ごせたが、やはり大学受験では惨敗だった。浪人する気もなかった私は3次入試でやっと滑り止め以下の大学に受かった。

大学生活ははっきり言ってチョロかった。

1次試験殆どが推薦とAO入試の母校は、一応受験勉強をしていた私にとってそこそこ勉強すれば学内テストで上位に入るレベル。ショックだった。今まで下から数えた方が早かった底辺の私が、大したことしていないのに褒めてもらえる環境に落ちぶれたのだ。わかっていたことではあったが、わかっていなかった。

人間関係に至っては、はっきり言って講義をサボったとか、バイトをサボったとか、店長と合わないからこっちから辞めてやったとか、友人から裏切られただとか、そんな話ばかり聞き、信頼しきれずその場限りの友人ばかり。だから卒業してからも仲良くしているのはごく数人だ。なぜ皆がもっと周りのことを考えて行動できないのか不思議で仕方なかった。

それなのに、就活が始まると周りからこんな声が聞こえた。

学歴とか関係なくね?」「必要なのはポテンシャルでしょ」と。

そんなバカな話があるか。

企業がどっちの人間を取りたいか、そんなものは考えなくてもわかるに決まっている。

高校時代大人になって、もしも今の学年でチームを組んで働いたら、きっと成績も良くて平和に働けるいい会社になるんだろうな。私は他の皆よりお給料少なくてもいいからその中に混ぜて欲しいな。そんな淡い妄想をしていた。

いざ就職活動が始まると、それすらも甘いと感じるほどだった。

でも、大学受験を頑張らなかった私は、受け入れるしかないし、当然だと思った。

もちろん、有名大学に進学した友人たちも、人間関係勉強高校の時のようにいかないことで悩んでいる話は多少は聞いていた。だが、それはごく一部であって、私の尊敬して信頼する友人たちは皆、努力していい大学に進んだのだ。そして就職氷河期でありながら努力して満足のいく就職活動ができていたのだ。

それなのに、私含め大して努力もしてこなかった人が、「学歴フィルター」だとか「ポテンシャル」だとか言っているのは、アホらしいとしか言えない。同じ土俵に上がろうと思うなんて厚かましいにも程がある。

高校時代勉強行事部活もなんでもできて、相手のことも考えられて、平和でいられる友人たちの努力評価されないのなら、そんな社会なんてクソ食らえだ。

から企業学歴を一つの基準にするのは自然なことだと思う。そして、そのような正当な評価ができる社会であって欲しいと切に願う。